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福島第一原発 メルトダウンを防げなかった本当の理由

 福島第一原発の事故による避難を強いられている方々や、広く放射能や風評被害に遭われた方々や企業では、原発事故のせいで人生設計や会社の存続が脅かされたり破綻してしまい、お怒りだけでは済まされない現状には、遠い地からわずかな支援しかできない私には計り知れないものがあります。
 しかし、多くのマスメディアが情緒的な追及で福島第一=原発すべての論調で原発避難する傾向が強いことには、多くの方々の犠牲を明日に活かす意味でも、科学的で真実に迫る原因究明がなされねばならないと考えています。
 その理由は単純で、福島第一よりも震源に近い女川はなんとか凌いで逆に近隣住民の方々の避難所の役割を果たした。福島第二でもなんとか凌いだ。ということは、それぞれに何か違いがあると言うことですね。

 情報が素人には解りづらくしかも小出しであるなかを、いろいろ見ていますが、以下の記事に遭遇しましたので、備忘録として抜粋転載させていただきます。
 
メルトダウンを防げなかった本当の理由 - 産業動向 - Tech-On!
 山口栄一=同志社大学 教授,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー

 福島第一原子力発電所事故の本質を探るという目的でFUKUSHIMAプロジェクト(http://f-pj.org/)を立ち上げたのは、2011年4月のことだった。
<中略>

 ここで私が主張したのは、電源喪失後も一定時間は原子炉が「制御可能」な状況にあったこと、その時間内に海水注入の決断を下していれば引き続き原子炉は制御可能な状態に置かれ、今回のような大惨事は回避できた可能性が高いことである。つまり、事故の本質は、天災によって原子力発電所がダメージを受けてしまったという「技術の問題」ではなく、現場の対応に不備があったという「従業員の問題」でもなく、海水注入という決断を下さなかった「技術経営の問題」だったと結論したわけだ。その責任の所在を突き詰めるとすれば、東京電力の経営者ということになる。
 そのことを主張した論文と記事が公開された直後、不可解なことが起きた。東京電力が「津波に襲われた直後には、すでにメルトダウンを起こしていた」との「仮説」を唐突に発表したのである。もしこれが本当だとすれば、事故の原因は「地震と津波」に帰されることになる。その天災に耐えられない安全基準を定めたものに責任があったとしても、その忠実な履行者であれば東京電力が責任を問われることはないだろう。
 これは、東電にとって都合の良いシナリオである。マスメディアは、このことに気付き、その「仮説」の妥当性について厳しい検証を加えるであろうと期待した。ところが実際には、ほとんど
メディアは東電シナリオをそのまま受け入れ、むしろ「仮説」を「事実」として一般の人達に認識させるという役割を果たしてしまった。そのころメディアは、メルトダウンという表現を避けてきた東電に対して「事故を軽微にみせようとしている」という疑いの目を向けていた。そこへこの発表である。多くのメディアがそれを「ついに隠しきれなくなって、本当のことを言い始めた」結果と解釈してしまったことは、想像に難くない。
<中略>

謎解きの発端
<中略>

 筆者は、多くのエンジニアの方と接し、本来、彼らは「想定外」を嫌う人々なのではないかとの思いを抱き続けてきた。「原子炉は絶対に安全だから、その安全を疑ってはならない」という会社の方針自体は「非科学的」である。そうであれば、あればこそ「想定外」のことが起きてもきちんと作動する「最後の砦」を設けなければならない。エンジニアであれば、そう考えるのが当然なのではないかと考えたのである。

「最後の砦」は存在した

 その想像が当たっていたことを知ったのは、3月29日のことだった。「最後の砦」が実はすべての原子炉に設置されていたのである。それは、たとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働しつづけて炉心を冷やす装置であって、1号機では「非常用復水器」(IC)、2~3号機では前述のように「隔離時冷却系」(RCIC)という。「非常用復水器」の進化形だ。
 前者の「非常用復水器」(IC)は、電源なしで約8時間、炉心を冷やし続けるよう設計されていた。後者の「隔離時冷却系」(RCIC)は、直流電源で炉心を20時間以上冷やし続ける。
 「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させるのは当然である。それをしなければ、原子炉は「制御不能」になるのは自明のことだからである。そして、「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」に保っている間に、なるべく早く対策を講じなければならない。冷やし続けられなくなれば、原子炉は「生死の境界」を越えて熱暴走し、「制御不能」になってしまう。

 ただ、地震で外部からの電源がすべて絶たれた状況では、その復旧が数時間でなされるということに大きな期待を抱くわけにはいかない。現実的には、敷地のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り替えるしかないだろう。
 簡単な理屈である。けれども、
それは実行されなかった。なぜなのか。

2つの可能性があると思う

 1つ。「最後の砦」は結局のところ動かなかった。あるいは動いている最中にどこかに穴が開いて水が抜けてしまい、努力むなしく原子炉は暴走した。

<中略>

 筆者は、どちらの可能性が真実かを見るために、事故後の公開データ2)3)4)を調べ上げ、原子炉の水位と原子炉内の圧力との経時変化をプロットしてみた。その結果、1号機の「非常用復水器」については設計通り8時間のあいだ稼働していたこと、3号機の「隔離時冷却系」については20時間以上のあいだ稼働していたこと、さらに2号機の「隔離時冷却系」については70時間のあいだ稼働していたことを確信した。
<中略>

 (筆者の既発表記事の)主張は第2の可能性を支持するもので、要点は以下の通りだ。
 3つの原子炉とも「最後の砦」は動いて原子炉の炉心を冷やし

  続けた。ところが、原子炉が「制御可能」であったときに「海水
  注入」の意思決定はなされなかった。よって東電の経営者の「技
  術経営」に、重大な注意義務違反が認められる。

<中略>

イノベーション不要という病

 再び問いたい。なぜ東電は、このような事故を引き起こしたのだろうか。直接的には「廃炉による巨大な経済的損失を惜しんだ」ということになるのかもしれない。けれども問題の
本質は、重大な局面で、そのような発想に陥ってしまったということであろう。

 その
根源は、東電が「イノベーションの要らない会社」だからではないかと思う。熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないかぎり生き抜いていけない。一方、東電は独占企業であって、イノベーションの必要性はほとんどない。
 こうした状況下で人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得ないだろう。「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときに如何に被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リスクに近寄らない能力」ということになってしまいがちだ。その雰囲気が、
人から創造力や想像力を奪う
 人が創造力や想像力を存分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占環境をなくして競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることしかないだろう。東電の場合、発電会社・送電会社・配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。そして損害賠償会社は、
この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだということを深く自覚し、みずからの「技術経営」の失敗を国民につけ回しすることなく最後まで、自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ。
 その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「知」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。

 それが達成されないのであれば、独占企業に原発の経営は無理だ。

 実際、
東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも2つの原子炉を「制御不能」にもちこんでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。みずからが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。
 さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪深い。これは日比野氏の指摘によるものだが、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順であり、何の対策にもなっていない。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。
 
この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。

 しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって
「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現われた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。

 ・「原子力で出てくる放射性廃棄物が放射能を失うのは数万年かかる。自分で出した排泄物を処理できない技術は実用に供するべきではない」
 ・「地震大国の日本に54基もの原子炉をつくったのがまちがいだ」
 ・「平安時代前期(869年)に貞観地震と呼ばれる大地震が来て、今回とほぼ同じ規模の津波が同じ場所を襲ったのだから、想定外ではなかったはずだ」
 とは否定するべくもない当然の話ですが、マスメディアの追及はこの正論から一足飛びに全原発の否定に走り、今回の事故の本質を見極めようとしていません。それどころか、東電を非難しつつ、東電の流す情報を右から左に流し精査していないことが少なくありません。
 ますます国民の不安を煽り、そのマスコミの無責任さを、政府や東電に転嫁している番組や記事が多いことには、憤りさえ覚えます。

 ベトナム、トルコ他、原発の日本からの導入を、事故後も継続希望している国々は、日本の様な技術先進国が被災したのだから、原因究明と最先端の対策が明らかにされると期待しているのです。商売は別として、地球の空気中や海中に放射能をばら撒いてしまった国の責任として、原因をきちんと究明し、まだまだ原発を増設しようとしている大多数の国々へ情報を提供し貢献する義務が、世界のリーダー国の一角にありつづけるための日本にはあります。

 形のあるものはいつかは壊れるということに眼をつむり、安全神話で国民も自らも金縛りにかけ、事故を起こしたソ連や米国の先例にも驕った態度で接し学びを追求することなく、安閑としたお役所仕事が国によっても東電によっても続けられ、知恵をしほり、絶え間ないイノベーションを怠った結果が福島第一特有の今回の事故原因を産んだのでした。

 GDPの200%を超える赤字財政の日本には、少子高齢化による社会の構造変化に、かつての成長期の制度が随所で破綻を迎えていてそのつけが溜まっています。
 かつてバブル崩壊後の失われた10年から、小泉改革が出口を見つけました。いま大阪では、政局に奔走する既存政党が否定され、既存権益をぶち壊すという橋下氏が大きな支持を集めました。
 来年は、世界も大きく変わりますが、日本も負けずにイノベーションを進めないと、沈没してしまいますね。

 

福島第一原発 メルトダウンを防げなかった本当の理由_b0055292_18314012.jpg



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by yuji_oga | 2011-12-18 18:34 | 企業改革
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